今回ご紹介する時計は、ENICAR(エニカ)という時計メーカーの懐中時計のお話です。お客様に起きた悲劇と申しますか、不運と申しますか、あまりにひどい内容でしたので、JPSで修理をさせていただいたのですが、記事にすることの承諾を得て書かせて頂きました。先日、JPSのチャットから修理のご相談がありました。お話をお聞きしておりますと、この春にオーバーホールに出されたようで、オーバーホール代以外に、更に風防交換もされたようで6万ほどかけられたとのことでした。しかしながら、先日リューズの巻き上げに不具合が生じ動かなくなったということでした。お話をお聞きしておりますと時刻合わせは可能なようで、ゼンマイ切れが考えられるようなお話でした。そして修理のご依頼を受けることとなり、実際に届いたENICARの懐中時計を手に取り、リューズを巻き上げると、明らかにゼンマイ切れの症状で、かつ香箱側で切れているという状態でした。リューズを反時計回りに回すとキチ車とツヅミ車が当たる「カリカリカリ」と小気味良い音がするものですが、粘っているような感触、そして一周の中である一定の部分でグッと重くなる症状もありました。少し不穏に感じ、裏蓋を開けてムーブメントを拝見すると…あり得ないことに素手でムーブメントを触ったかのような大きめの皮脂の付着が数箇所あり、穴石部分にはコッテリとした油感、微細の糸屑が数本見受けられました。受けのビスは比較的綺麗な状態でしたが、角穴車のビスはサイズの合わないもので無理やり開けようとした傷が目立っていました。写真では、ストロボや照明の関係上、映りにくいのですが、ムーブメントに黒いムラがあるのがわかると思います。穴石も写真では綺麗に写っていますがくすんでおりました。このような状況から判断できるのは…分解をせずに表面上、筆や刷毛などでベンジンなどを使って要所要所を洗浄し、動くようにした。その場合、揮発した跡や液がカタとなり残る。クロスで拭き取ったことで微細な糸屑が残る。ケーシングの際に指で押さえ行ったことで皮脂が残る。分解をしているなら、ベンジンなどを入れた洗い瓶の中でのみ洗浄し、組み上げ動くようにした。同様に揮発した液の跡が残る。跡を消すためにクロスで拭き取ったことで微細な糸屑が残る。ケーシングの際に指で押さえ行ったことで皮脂が残る。この場合では、本来、巻き真(リューズの棒)もキチ車もツヅミ車も同様に洗浄するはずなのですが、リューズの重さなどを鑑みると、洗浄せずそのままと考えられます。上記の2点が考えられますが、信じがたい、理解しがたい状態でした。あまりに気になりましたので、お客様にゼンマイ切れが原因であることをお伝えしまして、春にオーバーホールをされた業者ではなく、こちらに託してくださったのには何か不快なことがあったのでしょうかとお尋ねしましたところ、お返事をいただきました。このENICARは、お祖父様がお持ちになっていた時計とのことで、40年前に愛用されていたことを覚えてらっしゃるとのことでした。その後、お父様が受け継がれ、思い出として大切に保管されてらっしゃったそうで、半年前にお客様の元へ、三代に渡り引き継がれたとのこと。その際の状態は「竜頭の動きが重く、時間が酷く遅れる」という症状だったそうです。それで、ネットで中野の修理業者を見つけられたそうで、電話とメールで連絡をとられ、オーバーホールを依頼されたとのことでした。そしてこう書かれてありました…OH後の感触からは、掃除をせずに油だけ注したと推測しておりまたので、お知らせいただいた見立てはとても納得のいくものです。本当にひどい話です。修理店にオーバーホールに出し、戻ってくれば本来ならば、動きも軽やかで、そして綺麗になっているものですが…お客様が見られてほとんど変化がなかったということなのでしょう。確かにこちらに届いた際には、文字盤は汚れていて、全く拭いた形跡のないもので、針はくすんで汚れた状態、スッキリとした感じはございませんでした。分解掃除をすれば本来ならば、磨きなどはせずとも、針を洗浄したり文字盤も一応綺麗にすると思うのですが、一切しなかったのでしょう。そして、この度、お客様から改めてオーバーホールをとの依頼を受けました。時計を拝見しましたら、大きな破損などはなく、ゼンマイ切れが不動の原因でした。しかしながらお客様にとっては6万ほどかかり、さらにJPSでも費用の負担が必要になりますので気の毒になりました。少しでも喜んでいただけるよう入念に作業を行わさせていただきました。こちらが仕上げた写真です。文字盤インデックスの輝き、時針分針秒針の輝きがわかると思います。そして、入念に洗浄を行いましたのでムーブメントも光り輝き、ルビーも輝きを取り戻しております。エニカ(ENICAR WATCH CO)1854年に時計製造業を営んでいたラシーヌ家(Racine)に端を発しており、アリスト・ラシーヌ(Ariste Racine)が1914年に姓を逆さに綴ったブランド「ENICAR」を創業。懐中時計の視認性や精度の高さから鉄道員に愛されたとのこと。クロノグラフ懐中時計も製造していたが、腕時計においてもクロノグラフモデルが人気を博していた。エニカの時計は軍でも採用されていたが、エベレストやヒマラヤ登頂に成功した登山家が着用していたモデルがエニカのクロノメーターであったことから称賛される。その他ダイバーズやモータースポーツなどで使用されるスポーツモデルでも有名なスイスの老舗時計メーカー。JPS仕上げオーバーホール(ゼンマイ交換)ムーブメント洗浄仕上げ文字盤洗浄仕上げインデックスの磨き時針分針秒針洗浄仕上げ時針分針秒針の磨きプラスチック風防の磨きetc.JPSでは上記の作業を行いました。分解しながらまず感じたのは、お祖父様が大切に使っていたということ。ゼンマイ切れ以外は本当に綺麗な状態で、ほとんど手の入っていない状態と言えるムーブメントでした。それだけに合わないドライバーを使ったがために付けられたビスの傷が悔やまれます。いつの時代も傷をつけたり、ひどいものでは壊したりと、時計師がしてしまっているというのも皮肉なものです。今回、三代に渡り引き継いでこられた大切な貴重な時計を託してくださり、本当に光栄に存じます。お祖父様が愛用されていたこの時計本来の姿に戻せたのではと思っております。そして、先代所有者のお父様は今年で91歳になられるとのこと。お元気で何よりです。綺麗になって動いている時計をご覧になられて、昔を懐かしく思っていただけますなら本当に嬉しい限りです。この仕事をしていて本当に嬉しいことがあります。それは仕上がった時計をご覧になられてお客様が『笑顔』になることです。毎回この仕事をしていて本当に良かったと実感できる瞬間です。今回はお客様のお顔を拝見することができない環境ではありますが、いぜんより随分と綺麗になりましたと仰ってくださり、記事の承諾を得た際にも、記事として使ってください。祖父も喜びますと仰っていただけて本当に嬉しい限りです。これからまだまだお使いいただける良い時計ですので、是非ともこれからもお使いいただき、次の代にも引き継いでいっていただければと願っております。この時計は、RACINEという創業者が姓を逆読みにし、「ENICAR」というブランド名とした時計です。創業は古く、時計製造業を行っていた家柄でもあり、あまり知られてはいませんがスイスの老舗であり、現在も存在する時計メーカーです。今回お預かりしたモデルには、インカブロックという耐震装置が装備されており、装備されていることが文字盤にも誇らしげに記載されてあります。インカブロックは、天真折れという懐中時計の難点を多少なりとも回避できる画期的な装備でした。実は、同型ムーブメントで搭載されていないモデルもありますので上級機種扱いだったと思われます。文字盤や針などもこのモデルならではのスタイリッシュな形状で大変美しく特徴的です。そして、16石ユニタスムーブメントが搭載されており、時間もよく合います。懐中時計より新しい腕時計の方が時間が合うというのは嘘偽りで、懐中時計でも時間の合うものは本当によく合います。このお客様のENICARが良い例と言えます。この度、縁あって携わらせていただくことができ、感謝しかございません。この場をお借りしてお礼を申し上げますとともに、時計修理で被害に遭われましたこと、そして同じ生業としている者としてお詫びを申し上げます。ご家庭に眠っている懐中時計や腕時計を甦らせて見ませんか。▶︎「ENICAR 17石 A.R 202 アプライドインデックス 懐中時計」はこちら懐中時計のオーバーホールや修理のことならJPSへご相談ください。