恩賜(おんし)の銀時計陸軍士官学校、帝国大学、学習院、陸・海軍大学など成績優秀者に対して、天皇より授与される「御賜」と彫られた銀時計のこと。元々は1888年(明治21年)の陸軍士官学校が始まりとされている。大学は1899年(明治32年)から実施され、帝都大学は1918年(大正7年)に終了するが、陸・海軍の諸学校では終戦間際まで実施され、学習院では戦後まで実施された。授与された者はエリートであったことから「銀時計組」と称され大変名誉なものであった。昭和19年に学習院高等科を主席で卒業した三島由紀夫も恩賜の銀時計を授与されたことで知られる。宮内庁記録「御下賜時計の購入」において、1910年(明治43年)頃までは「玉屋宮田藤左衛門」「金田市兵衛」「小林伝次郎」などの時計商から購入したとされ、1911年(明治44年)からは「服部時計店」から購入したとされる。恩賜に採用された時計とは 実際に「御賜」と刻印された時計としては、古いものでは商館時計からあり、その他にはウォルサム製やロンジン製、精工舎製のものが見受けられる。これまでにいくつか触る機会があり撮影していたものがあるのでそれを一部ご紹介させて頂こうと思います。恩賜の銀時計には、「偽物」が多くあり残念ながらよく目にします。厳密にはモデルによって「御賜」の彫りも異なってきますので、見慣れている方々にはすぐにわかってしまいます。実際の例としてムーブメントも似たものなどを入れて、恩賜につくられたものまでありますので、今回はムーブメント写真は控えさせて頂きます。ウォルサム製は大きいものと小さいものがあるとされており、写真で紹介するものは大ぶりのものとなります。ロンジン製に関しては、1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受けた精工舎が代替えとしてロンジン製のものを専売側仕様とし3年間納められたとされており、精工舎がロンジン製を扱いました。精工舎では、エキセレントが1929年(昭和4年)まで採用され、1930年(昭和5年)のナルダン型の登場でナルダン型に移行します。そして、1944年(昭和19年)には裏二十蓋7石の19セイコーが採用されることになる。番外編と申しますか、精工舎のもので盲人用時計というものがありました。こちらは傷痍軍人に対して皇后陛下から授与されたものとなります。表蓋の裏に「賜」の文字がプレスされたように刻印されてあるのが特徴です。盲人用時計の場合は、当然のことながら指で針を触り時刻を知るので、ガラス風防はなく、ベゼルのみになっております。数の少ない時計ですので珍しいのですが、ベゼルがないものをよく見かけますのでご注意ください。恩賜の銀時計は、数に限りがあり希少ですので高価となることから、偽物や意図的に作られたものまで存在しますので、それぞれ注意が必要です。今作られたものもあれば昔に作られたものもあるので、すぐには見分けがつかないでしょうがよく見るとわかるもので、それは本物に見せようとして作られてあるからでしょうね。本物には、迷いはなく勢いがあり、素直さがありますが、偽物にはそれらはありません。一点あげるなら勢いという部分かもしれませんね。勢いがないと文字に迷いが出るものです。偽物防止のためにそれぞれの詳細は伏せますが、参考にしていただけますと幸いです。▶︎精工舎 SEIKOブランド時代のパリス環ベルト手巻き式腕時計アンティーク懐中時計や商館時計、腕時計などのオーバーホールや修理のことならJPSへご相談ください。