時の記念日特別展示イベント大阪で活動している「古時計クラブ(OWCC)」が時の記念日に「大阪くらしの今昔館」で開催している特別展示イベント。「古時計クラブ」は1984年6月10日の時の記念日に創立、昨年40周年を記念し「大阪くらしの今昔館」と『時の記念日特別展示イベント』を主催。時の記念日天智天皇が漏刻と鐘鼓によって初めて刻を知らせたことに由来している。大正時代、近代化が進み行く上で、国民自身の意識改革は急務となり『時の大切さ』を知らせ『時間厳守』を促進する目的とし定められた古くからある記念日。時の記念日である6月10日には、天智天皇を祀る近江神宮に漏刻祭が執り行われている。今年も『大阪くらしの今昔館』にて開催しておりました『時の記念日特別展示イベント』も先日無事に終えることができました。今回は、新たな試みで『大阪くらしの今昔館』9階の江戸時代の町並みが再現されている唐物屋さんで最初期の時計店を再現させて頂きました。この町並みにある唐物屋さんは、実は「摂津名所図会」という1796年に発刊された江戸時代にある実際にあった店舗が再現されてあります。こちらがその「摂津名所図会」の実物で古時計クラブメンバー所蔵のものです。柱に掲げられてある看板には「異国新渡奇品珍物類 蝙蝠堂」と書かれてあるのがわかると思います。『大阪くらしの今昔館』では実際にこのページの唐物屋さんがそのまま再現されてあります。特別展示イベント中は、天神祭の陳列になっており、この絵にある正面の座敷には天神祭にちなんだ展示がされてありますので、我々は、この絵右側入り口の横にある座敷スペースで『古の時計屋さん』をさせて頂きました。こちらがその絵では見えない店舗を入って右側にある座敷スペースで、茶棚や西洋机など至る所に当時の懐中時計を展示させて頂きました。因みに、右側が時計商で左側は時計職人を再現しております。ここでは、来館者の方々に当時のスイス製懐中時計を実際に手で触れて頂いたり、時計の構造を分解や組み立てをしながら説明したりなどを行いました。昔の日本人は懐中時計を初めて見たと思いますが、今の時代であっても腕時計が主流で、もはや懐中時計は目にすることはないので、老若男女来館者の皆さん目を輝かせてご覧になってくださいました。時計が好きなものにとって本当に嬉しいことです。幕末明治に日本にスイス製懐中時計を普及しようと頑張ってくださった方々がいらっしゃったおかげで今の日本の時計文化があるわけで、決して忘れてはいけません。こういったイベントを通じて我々はそのことを伝えていかなくてはいけないと感じております。日本に幕末に懐中時計を伝えてくださったスイス人時計師 フランソワ・ペルゴという方がおり、そして普及してくださった代表的なスイス人 ジェームス・ファブルブラントという方がいるわけです。しかし、大変不思議なことに、その方々のことをご存知の方はどれほどいらっしゃるのでしょうか。悲しいことにまずいらっしゃらないというのが現実です。このことは恥ずべきことではないかと感じております。その方々の恩恵を受けて我々は時計の仕事に従事できているのですが、時計業界でも知っているという方は稀ではないでしょうか。フランソワ・ペルゴは、現在のジラールペルゴ創業者の血縁者ですので取り上げられることもありご存知かと思いますが、ジェームス・ファブルブラントは現在あるメーカーの血縁というわけではないので取り上げられることもありません。しかしながら、ロンジンもユリスナルダンもゼニスも日本に初めて持ち込んだのは、若干24歳でエメ・アンベール公使に随行し日本にやってきたジェームス・ファブルブラントです。ジェームス・ファブルブラントが日本に持ち込み販売していなければ、ロンジンもユリスナルダンもゼニスも日本ではそんなに知られていないメーカーになっていたでしょう。明治末期から大正時代において懐中時計はどんどん小さくなっていくのですが、ジェームス・ファブルブラントが扱った、ロンジン、ユリスナルダン、ゼニス、この3つのメーカーの大正時代以降の小さな懐中時計が山のように現在でもネットなどで目にできると思います。これはジェームス・ファブルブラントが日本に普及させたことに端を発しているのであって、それがきっかけで多くの時計店が扱ったという証でもあります。起源は、ジェームス・ファブルブラントにあるのですが、メーカーも日本でこのことを発信しているのをあまり見たことがございません。スイスと日本が国交樹立した『日瑞修好通商条約締結』は、1864年2月6日(旧暦の文久3年12月29日)で、昨年は節目となる160周年でした。何かしらのイベントや前記したような内容の発信があるかと思っていたのですが、そのようなことはなく、大変残念でなりません。幕末明治、当時、ペリーの黒船で知られるように、アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・オランダ・プロイセンなど多数の国々が日本にやってきていました。それぞれ貿易など商取引をしておりましたがその背景では、日本の植民地化を企んでいたことも事実としてあります。ですが、スイスだけは植民地化などの企みはなく、自国の時計産業の発展を目的に日本との貿易を望み来日していました。その責任者として来日したエメ・アンベール公使(スイス時計組合会長でもありました)は、滞在中日本の美しさに感銘を受け、帰国してから1866年〜1869年に渡って週刊誌「ツール・デュ・モンド(「世界一周」)」で日本のことを連載しており、1870年には『幕末日本図会』という日本を紹介する挿絵476点、856ページ、2巻に渡った書籍を出版しております。1867年にフランスで開催されパリ万国博覧会があるのですが、日本政府として日本が初めて出展し、面白いことに薩摩藩も単独で出店した万博でした。当時日本を知る方はほとんどおらず、初めて日本人や日本の文化・伝統芸能・美術品の品々を目にし、大変注目されました。このことがきっかけで『ジャポニズム』という日本趣向文化が起こることになるのですが、浮世絵・漆器・陶芸品など日本の美術品が人気になり、ゴッホやモネもジャポニズムの影響を受けたこともご存知だと思います。エメ・アンベールの日本を紹介する貴重な書籍は、当時のジャポニズムに大きな影響を与えていたと思います。このパリ万博には、日本の代表、将軍の名代として参加していた徳川昭武という人物がいるのですが、滞在中に『金側葵紋付節公肖像入懐中時計』という大変美しい懐中時計をエメ・アンベールから贈られています。この『金側葵紋付節公肖像入懐中時計』という懐中時計の表蓋には、徳川家の家紋三つ葉葵、裏蓋の裏側には徳川昭武の肖像がエナメルで描かた素晴らしい時計です。この懐中時計は、徳川昭武の住まいである戸定邸、千葉県松戸市にある戸定歴史館が所蔵しております。以前にこの時計について献辞や時計情報、製作者などについて知りたく、戸定歴史館のご担当者の方にお願いをして研究させて頂いたことがあります。その調査の結果、この時計は、実はエメ・アンベールが自身の弟ユリス・アンベールに製作を依頼した時計であることなどがわかりました。徳川昭武の素晴らしい懐中時計は、戸定歴史館で見ることができると思いますので、興味のある方は是非ともご覧ください。ここには敢えて記していない面白い機構の懐中時計ですので楽しめるかと思います。お話したように、スイスと日本のつながりというのは大変深く、本当に日本において重要な歴史なんですが、知られていないという現実があります。このことを伝えていくイベントなどができればと常に考えておりますので、これからも模索し続けていきたいと思っております。ご協力頂ける施設様や企業様がいらっしゃったら是非ともご一報くださいますと嬉しい限りです。どうぞ宜しくお願いします。▶︎「愛用している特別な仕上げを施したコロン商会 商館時計」はこちら▶︎「JPS仕上げ お客様依頼の小型のコロン商会 舞鶴印 高級仕様 商館時計」はこちら商館時計の魅力をご自身で感じてみませんか。100年以上前の時計とは思えないほど、洗練されていて上品な時計です。商館時計のオーバーホールや修理のことはJPSへお気軽にご相談ください。